おこめセミリタイアブログ

30代でサラリーマンを早期退職、現在は個人事業と投資でセミリタイア中の一般人です。

シンプルライフやミニマリストとの相性

こんにちは。おこめと申します。

よろしくお願いいたします。

 

大量消費を促す社会

前回、高度化する世界(情報溢れる世界での生き方)について記しました。

 

インターネット上には沢山の情報が溢れ、常に私たちに刺激を与えてきます。

広告に誘導され、そのままネットショッピングが出来る仕組みがより消費を促します。

とても便利で、現代では欠かせないインフラのような存在です。

 

また、沢山の物を作る事で雇用が生まれ、働き手はお金を手に入れられます。

そのお金でより多くの物やサービスが消費者の手に渡り、企業は更に成長します。

企業の利益は株主に還元され、それがまた投資となり、社会は発展していきます。

 

ですので、この循環は社会にとって必要な事になります。

しかし、社会にとって必要な事であっても、個人に当てはまるかどうかは別の話です。

人は巧妙に細工された膨大な情報に惑わされ、本当に必要な物事を見失いがちです。

 

というのも多くの人は不要な物まで買い、働いてもお金が足りないと嘆いています。

それに加え、昨今の物価高で必要な物も買うのに精一杯、それでも不要な物を買う。

そうしていつまで経っても仕事を辞められず、自由無き生き方になってしまうと考えます。

 

シンプルライフミニマリストが注目される社会

一方で現代はシンプルライフを送る人、最小限の物で生活するミニマリストが存在します。

あえてこういった呼び方が流行るという事は、この大量消費社会の結果とも思えます。

または、そうせざるを得ない社会になったとも言えるでしょうか。

 

経緯はどうであれ、これまでと違った価値観の生き方が注目されています。

この物で溢れる世の中に惑わされず、必要な物事を選んで生きる人たちです。

 

実は私もある事をきっかけに、そういった生き方を目指すようになりました。

(私はシンプルライフを送る者だ!ミニマリストだ!と思いませんが考え方に共感)

 

以前、不動産(セミリタイアした人間の住居)について記しましたが、

元々転職やセミリタイアするに際し、柔軟に動ける必要があると考えていました。

住居に縛られず、様々な土地への移住が好きという事もあり、よく引越をします。

 

しかし引越の際に、あまりに物が多く、荷造りが億劫になる事がありました。

特に実家から出る際は趣味の物が多く、段ボールが50箱以上あった気がします。

(これも結局のところ多くは不要な物であり、ネット広告に踊らされた結果でした)

 

そこで、もっと物を減らして身軽になりたい。

そうすれば引越しやすいし、ついでにお金も節約出来ると考え始めました。

物が減る事で小さめのトラックで運べるので、引越費用が減らせます。

また物を置くスペースも少なくて済むので、広い間取りにならず家賃が減らせます。

(理想はキャリーケース一つで!そこまで行けばミニマリストかもしれません)

 

そう思い断捨離して引越、引越後もまた断捨離、これを繰り返していきました。

結果として、最近の引越では段ボール5箱で足りるくらい物が減りました。

 

今では出来るだけ物を増やさないように心掛けています。

また必要と思い買った物でもいつかは不要になると考え、リセールを考慮しています。

一つ一つの物に対して、ちゃんと手に入れる時と手放す時を考えるようになりました。

そういった生き方になると自然と物欲も減り、自由度が増すと実感しました。

 

足るを知る

古代中国の思想家、老子の言葉です。

身分相応の満足を知る事で幸福になる、という意味です。

 

また、禅の言葉に「本来無一物」という言葉があります。

本来は全て空であり我が物として執着する物は無い、という意味です。

 

どちらもシンプルな考えであり、物事を必要以上に求めない生き方です。

 

最近は好んで禅に関する書物を読んでいます。禅には学ぶべき事が沢山あります。

昨今、禅的考えはマインドフルネスとも呼ばれていますが、

これも情報社会であるが故に注目されているのかもしれません。

 

物も情報も、本当に多く存在し、簡単にアクセス出来る時代です。

しかし、何事も自身で見極め、足るを知る事で縛られずに生きていけます。

むしろ今こそそういう生き方が必要なのかもしれません。

 

セミリタイアに絡めて言うと、そういう生き方をする事で必要なお金も減ります。

より少ない稼ぎ、短い時間での労働で済むという事はセミリタイアの第一歩です。

セミリタイアとシンプルライフミニマリスト)、実は相性が良いのでオススメです。

 

 本日もご購読いただきありがとうございました。

情報溢れる世界での生き方

こんにちは。おこめと申します。

よろしくお願いいたします。

 

高度化する世界

現在進行形で世界はどんどん良くなっています。

 

蛇口を捻れば、清潔な水が出てきます。

お腹が空けば、お店で食材が手に入ります。

病気になれば、病院で治療を受けられます。

遠くに行きたければ、飛行機や電車や車で行けます。

雨風を防げ、快適な温度で過ごせる家だってあります。

その家にはスイッチ一つで電気やガスが供給されます。

 

これは決して経済が発展した国だけでなく、世界全体の大きな流れです。

世界は少しずつですが、確実に改善されています。

 

日本ですら数百年前までは、上記の事が出来なかったのです。

水は川から運び、食材は田畑で育て、病気は蔓延し、移動は徒歩や馬で、

家に電気やガスは無く、今ほど頑丈で断熱性のあるものではありませんでした。

 

高度化すればするほど生活は便利になりましたが、そこから新たな悩みが出てきます。

現代においては、インターネットの普及が最たるものだと私は思っています。

より情報共有が迅速かつ密になり、溢れかえるようになりました。

 

それは良い面も悪い面も両方含まれますが、多くの人には悪い面が目立つと考えます。

日本に住んでいると日本の悪いニュースばかり見聞きすると思いますが、

これは別に日本に限った話ではなく、世界の先進国全ての問題です。

どうしても楽観的な情報より悲観的な情報の方が目立ち、それが増えていると感じます。

 

実際は冒頭に挙げたように、世界は少しずつ良くなっているにも関わらずです。

犯罪件数や災害による死者数は年々減っています。

当たり前のようにこの環境で生きていますが、本当に素晴らしい結果なのです。

しかし、慣れてしまうとそれを忘れがちになります。

 

仕事は高度化したのか?

次に、少し目線を仕事に向けてみましょう。

先程申し上げたように、インターネットの普及で働き方も大きく変わりました。

特にオフィスで働く人にとって、インターネットやPCは欠かせないツールです。

ネットで検索したり、メールやWEB会議、ツールで資料作成、ソフトウェア開発、

何でもPC1台でこなせる便利な時代です。

そのおかげでこうしてセミリタイア出来ている事実もあります。

 

ですが、便利になったにも関わらず仕事は一向に減っていないような気がします。

効率的になっているはずなのに、それら文明に振り回されているのが事実です。

ひっきりなしに届く大量のメール対応に追われ、どこに居ようともWEB会議に招集、

徹底的に管理されたスケジュールに振り回されながら、

複雑化するツールで作り上げた資料も会議で使われるのは一瞬、

これではいつまで経っても仕事が終わらない訳です。

(実際は様々な面で効率化しているはずが、新たな仕事が増え、個人はそれを感じづらい)

 

私自身はPCが好きですし、その恩恵により発展した社会を歓迎していますが、

それでも、それによって仕事が楽になったかと言われると、NOだと思います。

そう感じたから会社員として働く事がしんどくなり、セミリタイアを考えました。

 

高度化した現代の悩み

インターネットの普及は普段の生活においても、大きな変化をもたらしました。

メッセージアプリやTV電話、動画や音楽のサブスクリプション、オンラインゲーム、

そしてSNSという巨大な市場を生み出しました。

 

最近ではこのSNSも犯罪の温床、ウィルスサイト、お金稼ぎの道具に変貌しています。

もちろん企業や個人のPR、作品発表や趣味の場、人との繋がりなど良い面もあります。

ですが、これも冒頭に述べたように悪い面が目立つような構造になっています。

(その方が注目を集められますし、手法としては間違っていない)

 

実際私も数年前まではそういった情報の悪い面ばかり見て生きてきました。

仕事の愚痴、犯罪や災害のニュース、誹謗中傷、SNSを見ればそんな事が日常茶飯事。

今思えば情報の発信源の思う壺だったかと思います。

 

本当は良い情報も沢山あるのに悪い情報に埋もれ、目につきづらいだけなのです。

よく見てみると、友人が結婚したり、子どもが出来たり、嬉しい事もあるのです。

 

自分の世界を心地よくする

長々とお話ししましたが、結局何が言いたかったかと言うと、

この高度化した世界を生き抜くには、自分自身でしっかり情報を見極める事が大事です。

自分にとってプラスの情報は受け止め、マイナスの情報は受け流す必要があります。

あえて、そういった場(SNSやニュース)から離れてみるのも一つの手です。

 

私はセミリタイアして会社員の頃より時間が余るようになりましたが、

以前よりSNSやニュースを見る時間は減らすようにしました。

昔のように悪い情報ばかり見ていたら、きっとセミリタイアは楽しくないでしょう。

 

実際悪い事は世界中で起きています、起きた事は仕方ありません。

ただ、それによって自分が悪くなるかと言うと、それはまた別の話です。

逆に良い事も世界中で起きています、それは良くしようとした行動の結果でもあります。

 

であれば、自分も同じように行動したいと思います。

折角少し自由になったのだから、その時間を使って自分の世界をより良くしたい。

SNSはあまり好きではないですが、前向きでポジティブな情報を発信したい。

だからこのブログを始めたのかもしれません。

 

悪い事を探す時間があるなら、その時間で良い事を探してみませんか。

 

  本日もご購読いただきありがとうございました。

父はセミリタイアしていた?

こんにちは。おこめと申します。

よろしくお願いいたします。

 

父について

前回(セミリタイア適齢期)、父について書いた事で、

ふと父の事を思い出したので綴ろうと思います。

 

父は、60代で健康な内に原因不明の突然死でこの世を去りました。

私は、そんな父が好きではありませんでした。むしろ嫌いでした。

 

記憶を遡ろうとすると、殆どの人は幼稚園前後の記憶までは思い出せると思います。

既にその頃から父に対してあまり良い記憶がありません。

 

父は、よく母に対して大声で怒鳴り、物に当たり散らし、横暴な人間でした。

普段から酒や煙草を大量に消費し、いつも機嫌が悪そうでした。

子どもだった私は早く家が静かになって欲しいと願い、部屋の隅に隠れていました。

直接の暴力はありませんでしたが、それが原因で一時は実家を離れる事もありました。

その頃の記憶が、今になってもずっと残っています。

 

また、父は普段から家にいる事が多く、学生の頃の私は「何で働かないんだ?」と

常々思っていました(働いて外にいてくれたら一時的に家が静かになるのに)。

小学生の時、友人から父の職業を聞かれた時は答えられなかったのを覚えています。

本当に稀に、工場や警備の仕事をしてると思えば、何かの診断士の免許と取り始め、

患者の相談に乗るような仕事もしていました。

 

そういう父だったので、私は父が死ぬまで、父の事を考える事はありませんでした。

(なんなら考えたくないから、早くいなくなって欲しいとも思いました)

 

祖父母について

子どもの頃、田舎のお爺ちゃんお婆ちゃんに会いに出掛けた事はありますか?

私はありませんでした。私の記憶には田舎というキーワードがありません。

友人が「夏休みに祖父母がいる田舎に遊びに行くんだ!」って言うと、

田舎って何だろう?そういえば自分には祖父母はいないのかな?と思っていました。

 

恐らく、私が生まれる前に何らかの要因で亡くなってしまったと思います。

病気なのか事故なのか、父と話す機会が無かったので、今でも有耶無耶なままです。

 

私の勝手な推測

年がら年中ろくに仕事もせずに家にいる父。祖父母が居ない父。

でも住む家はちゃんとあり、ローンも無く、私を専門学校まで通わせました。

お小遣いも貰えてましたし、高価なPCや車だって持っていました。

特段貧乏だったという訳では無かったと思います。

 

しかし大抵の場合、父が死ぬ60代くらいまでは家のローンがあるはずです。

場合によっては学生ローンを組む家庭だってあるでしょう。

あくせく会社員として働いて、安定的に稼ぐ必要があります。

しかし、それがありません。

 

私はこれまでセミリタイアする際に様々な勉強をしてきました。

会社に縛られない生き方、株式投資、不動産、相続、そしてふと思ったのです。

 

もしかすると、父はセミリタイアしていたのではないかと。

会社員として働かず、稀に仕事をし、ローンを完済した家を持ち、子の学費を支払う。

単純に無職というだけだとお金の問題は解決出来ず、母の収入だけでは不可能です。

 

そしてお金の問題、それは祖父母が居ない事に繋がります。

父は祖父母の遺産で家を建て、余ったお金で悠々自適に暮らしていたのではないか?

私にはそう思えて仕方がありません。

 

もしそうだとすると、父は自分の好きなように生き、健康寿命に内に亡くなった。

老後や介護の心配も無く、最後は家族に見送られた。

まるで私が理想としてる生き方ではないか、と考えさせられました。

(なんならその方が都合が良く、自分の中でスッキリするとさえ思いました)

 

父の死後、母は古くてボロくなった実家だけ相続しました。

遺産なんてありません。

父は全てを使い切り、(私が思う)最高のタイミングでこの世を去ったのです。

それが本当かどうか、今更母に確認する気もありません。

 

私は父と同じ生き方をする事は出来ません。したいとも思えません。

父は家族に厳しく、今でも好きな存在ではないのです。

もしセミリタイアしていたのなら、何であんな性格だったのかも分からないままです。

社会との繋がりが無くなったり、暇がありすぎると人はおかしくなるのかもしれません。

 

ただセミリタイアという観点で言うと、子は親の背中を見て育つっていう話が

案外当てはまってるのかもしれないと思いました。

 

  本日もご購読いただきありがとうございました。